⚫20+∞Century Boys / Acid Black Cherry
ABCの5枚目のシングル。
LIVEでは、ほぼ毎回アンコールラストで歌われるメッセージソング。
■ABC、林保徳の思想
満を持しての曲紹介です。
いつブログで取り扱うか迷う曲のひとつでもありました。
というのは、曲が持つエネルギーとメッセージ性の強さ、ファンから特に愛されてる曲だということ、自分の思い入れが強いこと…そして何よりyasuが最も伝えたい想いが凝縮されているから。
本日紹介しようと思ったキッカケは、ブログ途中で触れたいと思います。
さて、ここから楽曲を紹介していこうと思います。
曲調としては、ロックというよりもポップな曲。だからか、割とABCやビジュアル系アーティスト(とその曲)に距離を感じがちな人たちからも支持されやすい。少なからず、僕がカラオケで唄うとウケがいいです(笑)
この曲が世に出たのは、シングル発売より前。遡ることABCデビュー前、シークレットライブやフリーライブで既に曲は披露されていた。
それこそ満を持してのシングル発売だったと思う。
それでも1stアルバムに収録されなかったのは、(Wikipediaによれば)コンセプトアルバムだった『BLACK LIST』のテーマにそぐわなかったからとされている。
実際にはそういった発言やらインタビュー記事は目にしたことがない。
yasuの口から聞いた確実なこととしては、せっかくアルバムを出すのに知ってる曲ばっかりだと買ってくれた人が面白くないから、だと。
はじめにそんな話を書いてみましたが、これは単なるウンチクではなく、それだけyasuが大事にした曲だとも捉えられるエピソードとなっています。
じゃなければ、毎回毎回LIVEのラストで唄わないでしょう。
yasuはMCでこんなことを言っていました。
「明けない夜はないでしょう?止まない雨はないでしょう?」
それこそが、彼が僕らに伝えたいメッセージなんだと思います。
■絶望の淵で感じた希望
この曲、ただのハッピーソングではありません。
「頑張れ」とか「諦めるな」とか、そんな簡単なワードは出てきません。
あくまでも、苦しい立場にいる人の苦悩や葛藤がメインで、それを汲み取って未来への希望を見い出す応援歌なんです。
当たり前ですが、頑張ってるやつに頑張れって言ったところで響かないし、つらいやつに前を向けと言っても何がわかるんだって感じにしか思われないでしょう。
名曲ってのは、事単純に見えて、ちゃんと説得力があるからこそ心に届き、記憶に残る。
yasuは、ポップで明るくてライブで飛び跳ねて楽しめる曲調の歌に、人生を歩む苦しみも歌詞に乗せてきてるのが素晴らしい。
曲の2番を終えてから間奏に入りますが、ここはじっくり歌詞を聞かせようとバックサウンドがスロウになります。
"今…僕が死んでも世界は変わりはしない
でもね…生きていく事で未来はきっと変わっていく"
何かに悩んでると、どうしても自分を責め立ててしまいます。時間が経って、ふっと冷静に自分を俯瞰してみると、自分自身が周りからはちっぽけなものとして映っていると捉えてしまって、存在意義を見失ってしまいます。
それでも、存在し続けることがいずれ自分の存在意義になっていくんだと。
決して、前向きに考えろ、というわけではなく、現実を変える力はなくても歩みを止めないということがいつか大きな意味となっていく可能性があることを教えています。
この部分が曲の肝になっています。
それと、もうひとつある肝はというと…
曲のラスト
"夢を持たない事より
夢のために泣いて傷つく方がイイって…そう思うんだよ"
というところ。
自分が傷つかないために本当にしたいことを諦めるより、つらい想いをしてもいいから正直な気持ちを隠さず自分を貫き通せ。
そういった内容と解釈しました。
深読みをすると…yasuもそう想ったんじゃないでしょうか?
ジャンヌが歩みを止めた今、それでもソロで音楽を続けていくと決めたこと。
もっと深く深く考えると、ジャンヌを解散させないこと…活動再開への希望を表してるんじゃないかと。
あくまでも憶測です。
ただ、本人の体験を元にしたものでなければ、こんなに完璧なストーリーは書けないと思います(笑)
だから、LIVEラストサビの後に「わかるか?!」って叫ぶんじゃないのかな?
僕から見たこの曲は、ABCのyasuが作った曲ではなく、ジャンヌのyasuが作った曲でもなく、林保徳というアーティストが自分と向き合って作った曲だと思っています。
先程触れた僕の憶測…ジャンヌ復活への希望の歌だとすれば、ジャンヌ現メンバーで活動を開始してから22年目の本日に曲紹介する意味があったな、といつか思えることでしょう。
これが、はじめに書かせて頂いた、本日曲紹介をする意図についてでした。
■僕の未来を救ってくれた曲
最後に、個人的なストーリーを書かせて下さい。
「20+∞Century Boys」は、僕の未来を救ってくれた曲です。
僕は仕事でのある出来事をキッカケに心身を病み、働くことは愚か食べることや寝ることといった生活を送るすべてのことが出来なくなってしまいました。
思春期を通り過ぎたひとりの大人が、生きてる意味を考えるなんて、本当にメンタルヘルス他ならず。
これ以上は頑張れない、というか何を頑張ればいいのかわからない…とにかく楽になりたい、もう生きていけない、生きる希望が見い出せない…
ヤミは増すばかりで、ついには唯一の支えだった恋人からも見放されていくわけです。
あれほどまで落ちたって、今冷静に考えても、これからも二度とないだろうなって思うくらい、ダメージがデカかった。
そんなとき、ABCはツアー真っ只中。
チケットは取れてるけど行く気が起きない。
それまで、飯食うにしても寝るにしても買い物するにしても、何するにもABCを考えて生きていた。
金とか時間とか健康だとか全て投げ打ってでもLIVEに行っていた。
それが嘘だったと思えるほど、ABCやyasuやLIVEへの情熱が消えた。
トイレに行く、起き上がる、それさえも1時間2時間かけてようやくやっていたのに、電車に乗って人ゴミの中で移動して、さらに人ゴミのLIVEに行くなんて…無理。
それでも、行ったわけですよ(笑)
なんでかな…それだけは未だにわからんのだよ。
習慣?惰性?チケット取れたんだからという意地?貧乏性?
ただ、行く前から、どこか淡い期待をしていたのは確かです。
yasuの歌声とABCの曲を聴けば、治るんじゃないか?って…
それまで、数週間はABCだけじゃなく、全ての音楽を聴けなかった。
テレビも見れなかった。
そんな中で行ったLIVE。
必死に看病して支えてくれた彼女(今の妻)と行きました。
ああ、楽しい…やっぱりABCは最高だ…
けど…
どうしても…無理なんだよ。もう、頑張れない。
いっそLIVEが終わったら死んで楽になろう。
そう思っていました。
が、アンコールラストに、この曲を聴いたんです。
そうしたら、自然と涙が流れてきてね。
それまで、どんなにつらくても涙が出なかったんだけどね、何故か。
泣けたのは、感情が爆発したのか?いや救われたんだなと。
それと、更なる想い出が重なりました。
思い出しました、約1年前にShangri-laツアーファイナルの宮城で聴いた「20+∞Cherry Boys」を。
…あんとき、yasuに会えなくなる淋しさとツアーが終わる淋しさとで泣いたっけな。
…しばらく会えなくなるから淋しいなって思っていたらa-nationに出てくれたっけな。
…ああ、また僕はyasuに救われたんだ。
そう思いました。
そして、僕はそのときから頑張るのを止めました。
考えるのを止めました。
もう何だっていい。
別に自暴自棄じゃないよ。
とにかく生きていれば未来はあるから。
先のことじゃなく、目先のことじゃなく、今をこうして生きているだけでいつかは…
そう考えました。
そして、結果…
職場復帰出来ました!
奇跡です。
諦めることなく、生きていけさえすればなんとかなる。
そう思い、今なお生きています(笑)
あのとき、この曲と巡り会えなかったら?
LIVEに行っていなかったら?
多分、今の自分はいないでしょう。
yasuは命の恩人です。
彼の想いを次なる世代にも語り継がなければなりません。
僕にとって、この曲はそんな曲でした。